「69」という僕が小説で初めて声を出して笑ったとても楽しい小説を読んでいないなら読んでほしい。
「69」というのは当然「1969年」のことで村上龍の高校時代を楽しく書いたものである。
僕が書くなら何という数字になるだろうと思って
「88」かなと思った。
1974年生まれ、88年は15歳。
少し記憶を徘徊してみたい。
今日は小学生の時の話。
当時、僕は一人っ子で祖父母と三人で暮らしていた。
当然、祖父母と話なんて合うはずもなく、同級生が「ズームイン!朝」を見ていた時に僕の家は「NHKの7時のニュース」を見ていた。
祖父はほぼNHKだったから。
もちろん家にはガチャガチャ回すテレビが一台、当然チャンネル権は僕にはない。
昔から僕は泣き虫だったので、よく泣いて訴えた。
「え~ん(´;ω;`)。『週刊欽曜日』見たいんだよおお。コニタンをアチチしたいんだよお」と泣いて訴えた(笑)。
ちなみに週刊欽曜日とは言わずと知れた欽ちゃんの番組で金曜9時?から放送され、清水さんとコニタンは佐藤B作さんに「アチチだ!アチチだ!」と言われて僕は微笑むのだった。
その頃、歌番組と言えば「ベストテン」と「トップテン」だった。
僕はよく「ベストテン」を見ていた。
当時はたのきんトリオ、キョンキョン、明菜、聖子の時代だった。あと少年隊ね。
僕は歌が好きだったので、よく耳コピした(笑)。
今日は耳コピの仕方を紹介しよう
僕は小学4~6年だったと思う。
僕の家にはビデオがなかった。貧乏だった。いや祖父がケチだった。
ともかくビデオがなかった。つまり録画できなかった。
どうするか?
コンポはあった。ラジカセというやつだ。
サンワかなんかの2倍速ダビング機能、ダブルカセットだ。
結構祖父も僕も機械が好きだった。
テレビから録音する方法を調べてやっていた。
JACコードでガチャガチャテレビのイヤホンジャックからラジカセのジャックに繋ぐ。
そしてラジカセから音を出し、番組と同時にRECを押す。
そしてマッチの曲を録音する。
そして、録り終えたら、ヘッドホン片手に、テープを何度も巻き戻し、歌詞をノートに書き起こす。
オリジナルの歌詞カードの完成だ。
そして僕は次の日、悠々と通学路で、同級生に歌ってみせた。
でも、耳コピだからどうしても英語とかは聞いたままの歌詞になるのだ。
だから曖昧な部分があった。
その時、家が金持ちの級友が衝撃的なことを言った。
「それ明星に載ってるけど」
「え?明星?何それ?」
「アイドルの歌の歌詞とか載ってる雑誌だよ」
「え?載ってるの?」
僕は明星を見せてもらった。
確かにマッチもトシちゃんも聖子も明菜の歌詞もある!!!!
いや 俺の耳コピは?
「せっかくテープに録ったのにな」
「今度家に来なよ。全部ビデオあるから」
「え?」
そう彼の家にはビデオがあった。ビデオがあればコマ送りもできたし、いつでもキョンキョンに会えるのだ。しかもその友達の家は商売をしていて、カップヌードルも彼の家で初めて食べたし、ポカリスエットも初めて飲んだ。PC98シリーズもあって、頭もよくて、お母さんもいい人でいつも僕が行くと寿司を取ってくれたので、僕はいつも寿司を食べに行った(笑)。
それ以降、僕らは仲良くなり、6年生の「お楽しみ会」では一緒に風見しんごの「ブレイクダンス」をコピーして喝采を浴びた。
でも彼はダンサーにはならなかったし、僕もジャニーズには入らなかった。
人生は酷なのだ。
彼は病気になり、彼のお母さんは癌で亡くなった。
僕は最後まで寿司をごちそうになった。
今でも泣けるし、いい人が何でとよく思う。
詳しくは書かないが、「人生は辛いんだな」と小学6年生で僕は実感したのだった。
*「88」で書かれていることはフィクションであり、出てくる人物等も実在の人物とは関係ありません。あしからず。